アムレットさんの活動報告日記~ブログの章~

基本的にツイッターにいますがそこで書ききれないような事をここに書きたいなって思ってます

その言葉の意味を考える

今回は以前の記事でゆゆゆを見た際に「ガンダム」という単語を口走ってしまっていたと言っていましたが。僕は彼女たちの何処にガンダムらしさを感じたのか。また僕にとってのガンダムとは何なのか?そんな自分が無意識に言った言葉の意味を改めて考えてみようと思いました。

 

最近もこんな事を言ってましたし

 

 

 

 

 

 

ここでは代表として宇宙世紀、西暦(ガンダム00)、AG(ガンダムAGE)の世界観のガンダムについての説明を行います。

 

宇宙世紀におけるガンダム

 宇宙世紀におけるガンダムとは本編中に登場する組織「地球連邦軍」が作りだしたモビルスーツの一機である。最初は「V計画」と呼ばれる計画の一機として開発され戦線に投入されたガンダムは敵対するジオン公国からは「白い悪魔」と恐怖の対象となった

その後の宇宙世紀において様々な同名の機体が作られ、そのどれもが戦場において多大なる戦果をあげた。

ZガンダムやZZガンダムのバイオセンサーやνガンダムサイコフレームと言ったようなそれぞれの時代の最新技術などがふんだんに投入されており機体の性能も高いがその分様々な問題も同時に抱えている。例として上げるなら生産コストがとても高く量産化はほぼ不可能な機体である事や操縦が難しくエースパイロット以外には扱えない点などがあり、実質的にワンオフ機である場合がほとんどである。(例外的に少数量産されている機体も存在する)

 

西暦におけるガンダム

私設武装組織「ソレスタル・ビーイング」が所持するモビルスーツの事であり同組織の理念「戦争根絶」を体現するためのマシーンでもある。動力にGNドライブと呼ばれる機関を有しこれにより無限に近いエネルギーを得る事が出来、ビーム兵器の使用や圧倒的な機動力などを得ている。 

このGNドライブ、通称太陽炉と呼ばれる動力は木星圏の環境で数十年単位の長い時間を掛けて製造されており初期は5機しかなかった。(後に2機が追加で生産される)

その性質から量産が不可能かと思われたが、後に疑似太陽炉と呼ばれるものが登場する。これに関しては量産が可能であるが純正のGNドライブと違い外部の電力からエネルギーを生成しているという関係から稼働時間が有限であると言う欠点あるものの量産が可能と言う純正太陽炉にないメリットもある。

 

A.G.におけるガンダム

主人公の家計「アスノ家」の遺産である「AGEデバイス」に残されていたデータをもとに作られた機体。

この世界におけるガンダムは過去の戦争において活躍した伝説の白いMS

AGEシステムと呼ばれるものを搭載しており、これは戦闘データをAGEビルダーに送信し、その中で新たにパーツを製造できるというものである。これにより様々な状況に対応する事が出来る。

 

 

 

続けて勇者システムについての解説も行います

 

勇者システムについて

アニメ「結城友奈は勇者である」並びに同シリーズでほぼ共通で使われているシステム。

スマートフォンを介して変身をし変身が出来るのは神樹によって選ばれた少女だけでありまた誰が選ばれるかも基本的に戦闘が始まる直前までわからない。

その性質にほぼ共通している点は変身するとそれぞれの専用の武器が使えると言う点や身体能力の向上などが挙げられ、中には傷を負ったとしても回復すると言う機能もある。

力を神樹から得ている関係から量産がほぼ不可能である点も特徴。後に「防人」と呼ばれるある意味で量産型の勇者とも呼ばれる人たちも現れた。

 

 

 

 

似つつ非なる存在

こうして二つの作品の根幹を為す用語を説明したが、この二つに共通している点と言えば…

 

何らかの理由で量産が困難と言う点である 

 

勇者システムであれば先ほどの説明にもあったようにエネルギーの源が神樹と呼ばれる世界を守る存在に依存しているため多量に使えば世界が崩壊すると言う点からこの力を使えるのは多くても5人か6人という状況であった。

 

ガンダムに関しては同様に製造コストや運用コストまたは操縦系統が複雑で一般パイロットでは扱えないというものが殆どという事である事。

結構誤解されているパターンですが現実世界だと試作機と量産機では量産機の方が性能が高いというのが一般的ですが、ガンダムワールドの場合はガンダムタイプ(試作機)の方がその後作られたジムなどの量産機よりも性能が高いというパターンです。

例えとして言えば一般的な普通車の免許しか持っていない人間にF1のようなレーシングカーを与えても扱いきれないようなものです。よってあの世界の量産機と言うのはほぼ試作機から性能をデチューン(性能を落として)して生産されているのが殆どです。

 

 だがそれだけで言えば何もこの作品に限った話ではなので他にも何かがあるのでないか…?そう思い更に煮詰めてみました。

 

象徴としての存在

 二つの存在にはある意味での共通点があります。それは…

 

反攻の象徴ともいえる存在である事

 

ガンダムも時代によって異なるものありますがその開発の経緯は劣勢に陥った軍の反撃の一手として作られると言うパターンが多いです。

勇者システムもそのほとんどは窮地に陥った人類を救い、敵であるバーテックスに対する反撃の力としてその力をふるいました。

 

そして時として物理的な法則な常識的に考えてありえないようなある意味奇跡のような展開、超常現象を発揮したりしたこと。

 

結城友奈は勇者であるでいえば「結城友奈の章」最終話において変身が解除された結城友奈が端末を介さずに再度の変身を果たした事や「勇者の章」の最終回の大満開もある意味での超常現象とも言えるかもしれません。

 

ガンダムにおいてのそういう事は多々あります。有名どころで言えば機動戦士ガンダムUCにてユニコーンガンダムコロニーレーザーを防いだ現象や機動新世紀ガンダムXにおいて敵の支配下に置かれているはずのシステムが味方陣営側も使用できた事など科学的な事では説明がつかないような超常現象はガンダムサイドにも多く散見されます。

 

そんな風に悪い言い方をすればご都合主義、良い言い方をすれば奇跡とも言えるような展開がそれぞれの作品にはありました。

 

  • 予断

これは予断なんですが去年10月に放送された「鷲尾須美の章」を見ている時に僕は無意識にガンダムの一作「機動戦士Zガンダム」を連想するような呟きを残していました。

これは自分の中で、それぞれの作品の結末を知っていてその上で何か似たものを感じ取ったものだと思います。(最終決戦にて主要キャラの大半が戦死また精神崩壊などで戦う事ができなくなる展開や大人たちのエゴに翻弄される主人公の図式など他にも思う事はありますが長くなるのでこれくらいにします)

 

ただしただ似ているからとかでは似つつもそれぞれの良さをちゃんと出す事が両方の作品で出来たからこそZガンダムと鷲尾須美の章は自分の中にとって各シリーズの 中でも思い入れのある作品になったんだと思います。

 

 というか結構ツイッターとかでアニメやら特撮のシーンと重ねる人結構いますし僕自身結構「これ○○っぽいな」って思う事は多々ありますけど。そう思う前にその作品の”個”としての良さをちゃんと見つけるようにしてます。そうしないと正直「ただ自分の好きな作品と別シーンを重ねるのが好きなだけ」と周りに取られかねませんし、それは作品を作ってる人やファンに対しても失礼にあたると思っているからです。

二つの作品を見比べたりすることで新たな発見が出来ればと考え、それを常に忘れないようにしています。

 

 

結論

以上の点から結論を言ってしまえば僕にとっての「ガンダム」とは、ロボットではなく「何かを為すために行動する人、存在」なのではないのかっていう結論にいたりました。

ある意味で「戦う人」をガンダムと呼んでいるのかもしれませんがここでいう「戦い」とは何も武器を使っての戦闘だけに留まらないかもしれません。それこそ自分のしたいと思う事やすべき事を人の姿が僕にとってのガンダムなのかもしれません。

わかりやすい例えで言えば機動戦士ガンダム00 1stシーズン13話「聖者の帰還」の劇中において刹那・F・セイエイマリナ・イスマイールに対して言った「戦え、お前の信じる神のため!」という一言に込めた意味に近いのかもしれません。

 

個人的な事になりますし、くだらない事だなとも思いつつも自分なりに作品への想いを伝えたいと思い今回の記事を書くにいたりました。

最後までみていただきありがとうございました!