自分なりに感じたスタァライト劇場版の意味
今回は劇場版の感想と別に劇場版少女歌劇レヴュースタァライトの意味を僕なりに語っていこうかなって思います。
その前に諸注意があります。
僕の解釈なので当然人によっては解釈違いがあります
僕個人の意見なのでスタァライト以外の作品を話題として出します。
スタァライトも含め色々な作品のネタバレしまくります!!
以上のことをご理解できる方のみ進みください!
劇場版少女歌劇レヴュースタァライト
私たちはもう舞台の上 ワイルドスクリーンバーロック
様々な単語やキーワードが出ましたが、この劇場版の裏のテーマって「解放」「変革」「祈りという呪い」だったんじゃないかなって思います。
スタァライト、トップスタァ、舞台少女…劇中でも度々出てきたその単語
でもそれは同時に九九組のあの9人を縛る鎖のようなものになってしまいました。
本編で香子がまた何処かでスタァライトが行われ、トップスタァを巡る戦いが行われていると気にしていたように…
「皆殺しのレヴュー」が始まったさいに香子が「またレヴューが始まったんや」と言ったさいにはどこかそれを求めていたように聞こえました。
ある意味九九組の面々はトップスタァ、スタァライトという言葉、概念に囚われていたのではないのでしょうか?
私がこれに気付いた時に思い出した作品が一つありました。
その作品は「機動新世紀ガンダムX」です。
ガンダムXの劇中ではニュータイプと呼ばれる人々に関する物語が展開されています。
劇中で登場する人物たちは何らかの形でニュータイプに関わったりしています。
ニュータイプを保護しようとするもの
ニュータイプの力を恐れ封印しようとするもの
ニュータイプの力を利用しようとするもの
ニュータイプの力をかつて持っていたもの
ニュータイプを憎むもの
しかし最終局面でD.O.M.Eに封印されていたファーストニュータイプとされる意思はそこに来た人々にこう言いました。
「ニュータイプを求めてさすらう時代はもう終わったんだよ。そして君たちは新しい未来を作っていかなきゃならない」
ガンダムX 39話 「月はいつもそこにある」より
そして彼らはニュータイプにとらわれずにそれぞれの未来を進んでいきました。
スタァライトの劇場版でもまた舞台少女、スタァライトと呼ばれる舞台への決着がつけられました…
最後に九九組のメンバーが上掛けを空へと投げたのは
上掛けが外れる=レヴューから外れる=舞台少女からの「解放」、という意味だったのではないかと私は捉えました。
その後のEDでも九九組のメンバーはそれぞれが選んだ道、未来を進んでいきました。
次に「変革」の意味
劇場版の劇中内の101回聖翔祭、その中で書かれたスタァライトの台本の中にこう書かれてました。
「変化できないものは朽ちて死んでいくしかできない」
そしてPVで大場ななが言った台詞
「列車は必ず次の駅へ」
列車は必ず次の駅へというのは時が進み続けるということへの暗示、変わることの意味だったのではないのでしょうか?
「人間は未だ愚かで戦いを好み、世界を破滅に導こうとしている。だか私はまだ人類を信じ、力を託してみようと思う。世界は、人類は、変わらなければならないのだから」
ガンダム00 1st season 22話 「トランザム」より
「俺たちは変わる。変わらなければ未来とは向き合えない」
ガンダム00 2nd season 22話「未来のために」より
ガンダムシリーズの一作である「機動戦士ガンダム00」では度々「変革」「変わる」という単語が出てきます。
00の世界では化石燃料が枯渇し人類は新しいエネルギーとして太陽光発電を選び、その際に宇宙開発の架け橋として三本の宇宙まで届く巨大な軌道エレベーターが建設され、それにあわせて世界の勢力は3つに分けられることになりました。
しかしそれでも人類は己の威信や繁栄のために争いを続けました。
そんな世界に主人公たちが所属する「ソレスタルビーイング(以下CB)」が現れました。
CBは武力による戦争根絶を掲げ全ての戦争行為に対する武力介入を宣言しました。
CBの武力介入を受けそれまで争ってきた3つの国家郡は打倒CBのために一つとなりそれが後の「地球連邦軍」になりました。
このようにCBの登場で世界が変わったと言えます。
この際に戦争を商売としていたPMC(民間軍事会社)なども解体、武装解除されそれに反対したものは排除されたことが00の外伝「00F」で語られました。
このように変化できないものは淘汰され、世界は変わっていきました。
そして、その変化は世界だけではなく個人にも向けられたものもありました。
「刹那、お前は変われ。変わらなかった俺の変わりに」
ガンダム00 2nd season 15話 「反抗の凱歌」より
これはニール・ディランディが刹那・F・セイエイに向けた言葉です。
ニールはテロで家族を失い、テロを憎んで戦い続けそして命を落としました。
たがらニールは夢の中で上記の言葉を向けました。
「ただ破壊するだけの存在になるな」と…
と、長々と語ってしまいましたがここで本題のスタァライトに戻ります。
大場ななが「皆殺しのレヴュー」の中で言った言葉
「私たち、もう死んでるよ…」
なぜ九九組が命を落としたのか…?その意味は…?と疑問に思いましたが
あれって変わることが出来なかった(スタァライトやトップスタァという概念、言葉に囚われ続けた)九九組の行く末みたいなものなのかな、と私はとらえました。
そして場面は移り変わり聖翔祭101回の決起集会で台本に書かれてた「変化できないものは朽ちて死んでいくしかできない」という台詞
だからこそ彼女たちは、舞台少女としての自分達に決着をつけるためにそれぞれの最後のレヴューに赴いた…という見方を僕はしました。
「列車は必ず次の駅へ、では舞台は…?私たちは見つけなければならない」
列車を時間に置き換えれば、時間は進み人々や物事は変わっていく…という制作側からのメッセージだったと思います。
さて、ここまで語りましたがこれまでのスタァライトとは別の意味で囚われた存在がいました。
それが「愛城華恋」と「神楽ひかり」の二人です。
それが最後の「祈りと呪い」です
劇場版スタァライトの台詞ってどれも印象深いのですがそのなかで僕の中で印書深かったのがひとつありまして。それはかつて幼少期の華恋に舞台をやらせたいと言った華恋の母親が言った一言
「この子(華恋)の可能性が広がるなら見てみたい」
引っ越してきたひかりとの出会い、彼女が舞台に出ていたことから華恋もまた舞台を目指します。
これはそのときには可能性が花開くのを願った祈りでしかなかったはずでした…
ですが時は進み、劇場版の最終局面
「ひかりちゃんがいたからここまで来れた」
「スタァライトを演じきったら、私空っぽになっちゃう…」
スタァライトという舞台、そして神楽ひかりとの約束
それは最初は華恋が持つ未来に対しての可能性に込められた祈りだったはずが、いつしか華恋を縛る呪いのようなものになってしまった…
「こんな筈じゃ無かったんだ!あれは呪いじゃなくて祈りだったんだ!ニュータイプなんてものが生まれてこなければ!!」
ガンダムUC EP7 虹の彼方へ ガンダムUC RE:0096 18話 「宿命の戦い」より
ガンダムUCの舞台である宇宙世紀ではかつて宇宙移民が行われました。
そしてその際に宇宙世紀憲章と呼ばれるものが作られましたが、この憲章を綴ったラプラスの箱と呼ばれたものは宇宙世紀開始の発表の際におきた爆破事件によって失われた…
そして後にレプリカが作られた…
だかそれは失われてなくそしてそれにはレプリカにはないある一文が付け加えられてた。
「将来、宇宙に適応した新人類の発生が認められた場合、その者達を優先的に政府運営に参加させる事とする」
この一文は地球を環境破壊や熱汚染から守るためとはかいえども人々を無理やり宇宙に上げたことに対しての当時の政府関係者の贖罪、そして未来へと向けられた祈りだったはずでした…
ですが後にこの一文を消し去ったこと、そしてその後に起こった戦争において「ニュータイプ」と呼ばれる存在が表れた事。それらが箱に込められた祈りを呪いに変えてしまった…
そう、それはひかりやスタァライトに対しての思いがいつしか華恋にとっての鎖となったように…
「なーんにも華恋がいないとできないの?あなたに個性は無いの?」
舞台#1においてひかりがまひるに対して言った台詞ですが皮肉にもこれはアニメの華恋に対しても刺さっていました。
華恋が途中にトマトが弾けた直後に死んだように動かなくなったのは上記でも記載したように「スタァライトやひかりに囚われた華恋の行き着く先」だったように思います。
ですが神楽ひかりもまた愛城華恋に囚われていたように思えました。
ロンドンに行った中、キリンの導きがあったとはいえ再びレヴューに参加したのかひかり自身の意思だった。
でも最終的に二人は互いの本当の思いを吐露します。
「華恋のファンになるのが怖かった」
「ひかりに負けたくない」
二人が幼少期に交換した星と王冠の髪飾り…これは二人の約束の証であり同時に二人を縛る呪いの証明のようなものだったように思えます。
「スーパースタァスペクタクル」が終わった後の二人から髪飾りが取れてたのは「これからはそれぞれの未来という名の舞台を進む」という表れただったように思います。
そして空を舞う上掛け…
こうして9人はこれまでの自分とは違う未来へ向けて進める自分に「再生産」し、未来へと進んでいった…。
まとめ
なんか書いてる途中で「あれ、これスタァライトの話だよね?ガンダム中心になってない?」などと何回もなりつつも自分なりのスタァライトを見た思いを示す上で必要だと思いガンダムネタを引用させて貰いました。
でも逆に自分のスタァライトに対しての気持ちも再認識することができました!!
変わりゆく舞台や世界
これは何もアニメの中だけではなく今、我々が生きる現代でも同じことが言えるのではないのでしょうか?
10年ほど前にはこれほどまでにスマホが普及していましたか?中にはガラケーだけ対応していてスマホは対応していないサービスもありました。
ですが10年近くの時を経て現代ですがスマホは誰しもが持つものであり、電話やメールだけではなく動画の視聴やサイトやSNSの閲覧などこの世のありとあらゆることが出きるようになりました。
これから10年、100年後の世界がどうなっているかわ“わかりません”
もしかしたそれこそ人類が宇宙に進出!なんてこともおきてるかもしれません。
そんな変わりゆく私たちの日々やスタァライトというコンテンツ、キャストたちへの未来へ思いを馳せながらこの記事を閉じようと思います。